2014/08/22

わたしたちの本棚

共感の時代へ-動物行動学が教えてくれること
/ フランス・ドゥ・ヴァール著

ソーシャルメディアなるものが世に出てきてからというもの、やたらと「共感」という言葉が出回るようになりました。わたしたちもソーシャルメディアの運用に携わらせていただくことが多いこともあり、「共感」というキーワードをよく用います。ですが、そもそも「共感」って何なんでしょう?よく使っているわりに、わたし自身もその正体についてはあまり把握できていない気がしました。これではいかんと思い、手にとったのが今回取り上げるフランス・ドゥ・ヴァール著の『共感の時代へ-動物行動学が教えてくれること』( 紀伊國屋書店 )です。

著者であるフランス・ドゥ・ヴァールは、サルやチンパンジーといった霊長類の社会的知能研究で世界の第一人者として知られている動物行動学者。彼は、「共感」という能力は人間特有のものということではなく、生物の進化の中で獲得されてきた生得的な能力だと主張します。この考えは非常に受け入れやすいもののように感じました。なぜなら、サルだって、チンパンジーだって、集団を形成する生物であれば、相手の感情や意図などを即座に感じ取り、その相手と協調行動を取ったりすることができなければ、生きていけないことは容易に想像がつくからです。人間じゃなくても、他の生物との関係性のなかで生きていることには変わりはないわけです。「共感」は、太古の昔から生物の生存確率を高める重要な手段として進化してきたのでしょう。

共感の根っこには、まず「情動伝染」があると彼は言います。つまり、他者があくびをすれば、自分もあくびをしてしまう、他者がいまにも吹き出しそうになるのを必至でこらえている姿を見れば、自分にも何故だかじわじわと笑いが伝染ってくる、そういった身体的な同調作用が他者への共感の前提を形作っているというのです。表情やボディランゲージを介した気分の伝染がとても強いのは、このせいでしょう。ここで大事なことは「頭」でなくて「身体」で共感できるということ。つまり、意識的な決断によって共感するのではなく、身体側で無意識的に共感するのです。先に「身体」が判断を下してくれて、それから「頭」の方で後追いし、もっともらしい言い分をつくるというわけです。共感は「頭」でするものじゃないんですね。

ただ、「情動伝染」だけで、「共感」という能力を形づくることにはならず、他者への気遣いやその相手の立場になってみるという「視点取得」といったより精緻な能力が進化の中で加わることで、われわれ人間が行うような高度な「共感」に発展したようです。冒頭で述べたように、「共感」にも長い歴史の積み重ねがあるのですね。

本来的には、絶対に知り得ることのない他者の気持ち。そして、その裏返しとして、絶対にすべてをわかってもらえることのない「わたし」という存在。それをどうにかして知りたい、伝えたい、その不可能性をどうにかして突き破りたい。人間にはそういう欲求が備わっているように思えてならないわけですが、本書では、それが人間に特有の欲求ではないことを膨大な研究データを用いながら、証明してくれます。他者を理解したい、自分を理解してほしいという、その不可能性への試みが、1億年以上も遡って、人間がこの世界に現れる以前からすでに始まっていたこと、そしてそれが「共感」という能力の獲得の歴史でもあったということを本書は教えてくれました。

最後に、ソーシャルメディアと「共感」の話を少しだけ接続させて終わりにしたいと思います。毎日他者と感情を共有していると、お互いが相手を自分の中に「取り込み」、ついにはわかち難い仲であることが誰にも見て取れるまでになると本書では述べられていました。長年連れ添った夫婦が似てくるというのもその結果なのでしょう。だとすると、ソーシャルメディアを通して、日常的にファンと交流を行っていくことで、企業と生活者がお互いを「取り込み」ながら、双方に"かけがえのない存在"になっていく可能性というのは十分に考えられるでしょう。あらゆる企業が脱コモディティ化と戦っていて、差別化ポイントを探し出すのに躍起になっている現状のなか、お客さまにとってその企業が"かけがえのない存在"になっていくためのひとつの手段が現れた。ソーシャルメディアの登場とは、多くの企業にとってそのような意味と価値を持つのではないでしょうか。

2014/08/11

わたしたちの本棚

表現の技術 / 髙崎卓馬著

今回の「わたしたちの本棚」は、髙崎卓馬の著書「表現の技術 -グッとくる映像にはルールがある」を取り上げます。

“表現の使命はひとつ。その表現と出会う前と後でその表現と出会った人のなにかを1ミリでも変えること。”

この言葉、ぐっときました。

何かを表現しようとする行為、例えば写真を撮る、絵を書く、音楽をつくる、演じる、文章を書く…など、あらゆる「表現」を考えるときの方法論と心構えがこの本には書かれている、私はそう感じました。

例えば以下の方法論、いろいろな作品に応用がききます。

“想像を利用して、予想外の展開をつくり出す”
“「ズレ」をつくることで、面白さの起点となる”
“物語は登場人物が進めていくようにする”
“一つのシーンを深く追うことで「物語」化する”
“登場人物と観客に葛藤を共有させる”

でもさらに私がぐっときたのは、「心構え」の方でした。

“あらゆる段階で、あらゆる角度で、自分のつくっているものを徹底的に疑う”
“疑う心を常にもっておくほうが、よりよいものを生み出す”
“今つくっているものが、世の中にとってどういう意味を持つのか、ということを考えて理解する”

変ないい方ですが、読んでいて自分たちのやり方に自信が持てたというか、自分たちも結構これと似たような取り組み方をしてきたように思えたのです。そのことがちょっとうれしかった。

昨今、従来のマスメディアはもう「時代遅れ」だの「オワコン」だのと言われ、「キュレーションメディア」や「オウンドメディア」を代表とする新しいメディアが注目されたりしています。でも時代が変わればメディアが変わるのは当たり前のことであって、そんなことより大事なのは「表現しているもの」そのものなんじゃないかと、私は思います。

「人に何かを伝え、その人の何かを1ミリでも変える。」
この想いこそがいちばん大事なんじゃないかと、改めて確認できました。

著者に感謝したいと思います。

2014/08/01

代表コラム

Vol.7 宝物の在処(ありか)

大学時代はびっくりするほど勉強しなかった。難しい本を原書で読むことになんの意味があるのかまったくわからず、先輩から回してもらった翻訳本を読んでゼミに間に合わせるのだけれど、それを読んでもさっぱりわかりませんでした。

でも実はあんなにも素敵な時間はなかったと、今にして思うのです。一見「意味がない」と思えるものにエネルギーを費やすことが許されていたなんて。生意気に意味など考えず、もっと純粋に学問に向き合っていけばよかったと思います。

「人生に無駄はない」ということが年を経ることにリアルさを持ってわかるようになってきました。すべての経験は積み重なり、どこかでつながり、ボク自身というものを構築していく。だから人は「経験」をする度に、より柔軟に、そしてより強靭になっていくのだと。

一見意味がないと思えることの中に、人生の宝物が潜んでいたりします。たとえそれが無意味で、無価値で、非効率なものに思えたとしても、本当にそうなのかどうかは後にならないとわからない。と、最近よく思うのです。

2014/07/31

わたしたちの本棚

競争優位の終焉 / リタ・マグレイス著

世の中の変化のスピードがどんどん早くなっています。ビジネスの世界にもたくさんの大きな変化が起こっており、その一つが「既存の市場セグメントの喪失」だと言われています。今やビジネスは競合企業との単純な差別化を争う時代ではなくなりました。業界、地域、価格帯といったこれまでのセグメントが急速に消失しつつある現在、オープンフィールドに立たされた企業は否応なく経営戦略の舵取りを迫られていす。

確かにここ10年ほどで起こった市場の変化は、これまでとは様相が異なっています。街角の本屋は姿を消し、若者はCDを買わなくなり、カメラは携帯電話の機能の一つとなり、映画はタブレットで気軽に鑑賞でき、入れたてのおいしいコーヒーが缶コーヒーよりも安くコンビニで買えるようになりました。これらの変化はすべて業界の垣根の向こうからやってきたものです。思わぬところから現れた大波になす術もなく飲み込まれてしまった、そんな印象を拭えません。

『持続的な競争優位の時代は終わりを告げた。』著者はそういい切ります。そして、『変化の激しい現代においても長期的な成長を続けるいくつかの企業たち(本書では『例外的成長企業』と呼ぶ)は、戦略の新たなシナリオを手に経営を進めている。すなわち、持続的な競争優位を求めるのではなく、フィールド全体を見渡しつつ、短期的で一時的な競争優位状態を絶え間なくつくり出す仕組みを構築している。』と述べています。

さてさて、ここからはボクの戯言ですからお許しを。ボクは他人の家にいくといつも感じるのですが、家にはそれぞれリズムのようなものがありますね。人の暮らしは習慣の積み重ねでできています。リズムとはその習慣そのものであり、また、習慣を繰り返す際のテンポのようなものです。お父さんの帰りを待って一緒にごはんを食べる家もあれば、先に食べちゃう家もあります。どっちがよいかではなく、そのリズムが家族という組織を成り立たせ、その家族らしさを生み出している。

企業も同じです。組織は生き物であり、それぞれが独自のリズムを脈打っています。多少の外的な環境変化があろうとも、組織のリズムというものはそうそう変化するものではありません。人も組織も習慣の生き物ですから、リズムが急激に変わっては生きていけないのです。なので、ボクらはお客様企業をお手伝いするときに、その企業のリズムをとても大切に考えます。リズムを肌で感じ、リズムに乗って、リズムを活かしながら、外部とのコミュニケーションを設計していく。そう考えると、「企業らしさ」というものの正体は、案外この「リズム」にあるのかもしれません。

さて、すべての企業は環境適応業であり、事業環境の変化には敏感に対応すべきであることは言うまでもありません。例えば、大正から昭和にかけて人々の暮らしが急速に洋式化していく時代の中においては、下駄屋は履物屋になり、さらに靴屋になっていかなければ生き残れるはずもありませんでした。もしそこを見誤れば、下駄屋どうしで競争しているうちにあっという間に市場から追い出されてしまう。おそらく同様に現代もまた激しい変化の時代であり、すべての企業は今まで以上にタイトで大胆な舵取りを迫られているのは間違いありません。

ただここで留意してほしいことは、「リズムだけは変えられない」ということです。変えられないものをムリに変えようとするとそこに歪みが生じ、時に致命的な傷に至ります。いくら崇高な「理念」や「ビジョン」、また練り尽くされた「戦略」や「分析」があろうとも、それを行為に変えているのは「現場」の小集団であり、一人ひとりの人間です。そして、その「現場」を動かしているのは、実は理念でも戦略でもなく、まるで人体における呼吸や鼓動のような、その組織固有の「リズム」に他なりません。

そのリズムをきちんと理解し、それに沿った戦略やシナリオを構築することは、外的環境の激しい時代だからこそ余計に求められているのはないかと、こんな本を読んでもボクはやっぱり思ってしまうのです。

2014/07/18

わたしたちの本棚

『GIVE&TAKE』―「与える人」こそ成功する時代
/ アダム・グラント著

新しくはじまったコラム「わたしたちの本棚」。
初回となる今回は、アダム・グラント著の『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』(三笠書房)を取り上げます。

本書のなかで、著者は一貫して「与える」ということの重要性と可能性について実証的に論じています。ひとつにはソーシャルメディアが生まれ、つながりの密度がより濃いものになったことで「与える」ことの影響が見えやすくなったことが挙げられます。そうして時代が大きく変わろうとしている現在、企業はどのような姿勢で時代と対峙していけばよいのか。本書で語られている「ギバー(giver)の戦略」にはその課題に対しての大きな示唆が含まれているように感じました。

読み進めるうちに頭の中に浮かんできたのは「星の王子様」の物語。例えば、本書にはこんな一節があります。

「人間は自分の時間、エネルギー、知識や情報を投資して誰かを助けると、相手がそれに値する人だと必死で信じようとする。」

そして、こちらが「星の王子様」の中で出てくる言葉。

「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」

いかがでしょう?わたしにはどちらも同じことを言っているように思えたのです。つまり、見返りも求めずに与えるということを続けていると、与えている対象が愛おしいもの、かけがえのないものに「なる」と。

わたしはいま、一匹の猫を飼っているのですが、毎日餌をやり、飲み水を換え、うんちを処理し、遊び相手をし、部屋が暑ければ冷房をつけ、寒ければ暖房をいれてあげます。そうした日々を積み重ねていく中で、なかなか言葉では言い表しにくい感情をこの猫に抱いている自分がいることに気づくのです。

それを「愛情」と呼んでもみてもいいと思える、そういう類いの感情です。もちろん、この猫がお金を稼いできてくれたりするなんてないですし、機能的にいえば価値は特に与えてくれるわけですが、わたしにとってかけがえのない存在であることには間違いないのです。

話を猫から本書に戻します。見返りを求めず与え続けるなんてことをしたら、大損食らうのがオチだよと思うのが多くの人の反応かもしれません。しかし、よくよく考えてみると、そもそも、かけがえのないものを見つけることができるって、大損どころかかなり価値のあることだと思うのです。

ここでようやくこれからの時代と企業がどう対峙していけばいいのか、という話に接続する準備が整いました。まとめます。これからの時代、企業の戦略には大きく2つのことが重要になってきます。

1つは、お客様にとって価値あるモノ・情報・体験を与え続けることで、自分たちにとってのかけがえのない存在を企業側が見つけていくこと。

もう1つは、お客様から与えてもらうことによってお客様にとってのかけがえのない存在になっていくことです。

どちらももうすでに一部の企業を中心にその流れははじまっています。

前者は、近ごろよく耳にするようになったインバウンドマーケティングやコンテンツマーケティングなどといった顧客になりうる人たちにとって役に立つ情報を「与え」続けることで購入につなげていこうとするマーケティングの姿勢に現れています。そして、後者は、コミュニティの形成による顧客ロイヤリティ向上を目指す流れにみることができます。

無印良品は自社のマーケティング戦略を「最愛」の戦略と置き、顧客に愛される企業を目指しています。このように、企業と生活者がお互いにかけがえのない存在となるような関係構築を目指すことが、これからの時代の企業戦略のキーとなりそうです。

従業員、パートナー、顧客といったあらゆる関係者を巻き込んで、共通の価値観でつながったひとつのエコシステム(=生態系)を形成していくための試みは、これからさらにスピードを上げて広がっていくことでしょう。そんな中において、「与える」という概念はますます重要度を高めていくのではないかと、私は見ています。

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